今回は趣向を変えて、社会派な論調(?)で書いてみようかと思う。
<プロローグ>
第2次大戦後のソ連。
文化的自由が厳しく規制される中、巷に奇妙なレコードが広まり始める。
使用済みのレントゲンフィルムにカッティングを施しただけの粗末な※ソノシート。
人々はそれを『肋骨レコード』と呼んだ。
※ 薄いビニール板や紙で作られたレコードの簡易版。雑誌の付録や金のないバンドの音源として用いられた。
97年に日本で最後のソノシート製造機がストップし、その歴史に幕を閉じた。
↑これが肋骨レコードである。
確かに誰かの骨が写っているから驚きだ。
<肋骨レコードの誕生>
アメリカでスウィング・ジャズが隆盛を誇っていた1930年代、ソ連は事実上文化的鎖国政策をとっていた。
しかし、第2次大戦を契機に出征したソ連兵は欧州戦線で西側の文化に初めて触れる。ジャズやシャンソンを聴いた兵士たちは終戦と同時にひそかにレコードを母国に持ち帰った。
ところが、母国ソ連は極端な警察国家・監視国家であり、スターリニズムが完全に支配していた。以前にも増して西側音楽は厳しく規制されることになる。レコードを聴くことも売買することも禁止され、発覚すれば収容所送りになった。
←ヨシフ・スターリン
1953年に死去するまでソ連共産党書記長を務めた。
権力欲・金銭欲はすさまじく、反対派を徹底的に弾圧
・粛清した。
ヒトラーに並ぶ、20世紀最悪の独裁者の一人である。
そんな中、なんとか西側音楽を聴くために考案されたのが『肋骨レコード』である。レコード盤自体が高価で一般市民には手に入らなかったため、使用済みのレントゲンフィルムが使われた。誰かの骨が写っていたことから『肋骨レコード』と呼ばれたのである。
当然このレコードも当時のソ連では禁制品である。作るのも買うのも聴くのも命がけという代物であった。
中には何回逮捕されて収容所送りになっても、出所後懲りずにレコードを地下レーベルで作り続けるツワモノもいたという。
いくら政府が規制しても、人々の西側音楽への欲求は抑えられず、肋骨レコードは数百万枚も作られたそうだ。
ちなみにレントゲンフィルムにレコードの溝を刻むカッティングマシンは、かつてスターリンの演説を録音する際に使用されたものというのだから、皮肉なものである。
<冷戦終結、ソ連崩壊>
時代は流れ、フルシチョフによるスターリン批判が始まり、西側文化への規制は次第に緩やかになってゆく。
ペレストロイカ、冷戦終結を経てソ連は崩壊、西側の文化が一気になだれ込むと同時に肋骨レコードもその役目を終え、静かに姿を消した。
<エピローグ>
そして現在。
レコードはCDにとって代わられ、ネットにはあらゆる音楽が溢れている。命がけでレコードを手にするなどありえない時代になった。肋骨レコード発祥の地ロシアでも、その存在は風化しつつあるという。
豊かであることは決して罪ではない。やましいと感じる必要もない。
しかし、我々が大好きな音楽にどっぷり漬かっているとき、身の危険を冒してまで聴きたい音楽を聴こうとした人々が数多いたことを忘れてはならない。