2009年11月25日水曜日

Wings For Wheels ~Bruce Springsteen~




改めて思う。


やはり“Born To Run”しかない、と。

ある夏の夜に起こる様々な物語をアルバム1枚で描いた、ロックンロール史上に輝く名盤中の名盤。

中学で初めて出会って以来、何千回聴いたかわからない。

今でも1曲目”Thunder Road”のイントロを聴くと目頭が熱くなる。

心の琴線に触れるシンプルかつ美しい旋律、友達のことを歌った歌詞、そしてクラレンス・クレモンズのサックスの咆哮。

これ以上何を望もうか。


75年ロンドンでのライブを収めたDVDボックス。

これを見ずしてBossは語れない!

世紀の名曲”Born To Run”や”Jungle Land”がいかにして作られたかをブルース本人とバンドメンバーたちが回想するドキュメンタリーも付いている。

あの曲たちが生まれたとき、ブルースは若干24歳。「人生で最も大切なものを得た時期」だった。

他にもBossについて書きたいことは山ほどあるんだが、今日はこれくらいにしておこう。

また今度!

2009年9月25日金曜日

ジャケ買いしようぜ!!

前回のアーネット・コブ特集はどうも人気がなかったらしいので、今回は少々大衆向け(?)の内容にしてみた。
というわけで!
今回はジャケ買い特集だ。

ジャケ買い:レコード、CDのジャケットに惹かれて購入することの意(広辞苑)
ジャケ買いをしたことがある:音楽ファン1,000人中953人がYES(帝国データバンク調べ)

皆さんは「ジャケ買い」をしたことはあるだろうか。私も結構やってしまう。
場合によっては「嘘だろっ!」っていうような駄盤に当たってしまうこともあるが、まあギャンブルみたいなものだからしょうがない。
というわけで、今回は私がこれまで経験した「ジャケ買い」の一部をご紹介しよう。
内容についても多少触れるので、興味を持った方はamazonのリンクをクリック!!

Wayne Shorter “Phantom Navigator”

夕日に燃える空に浮かぶ巨大な客船。それを浜辺から眺める少年の姿がシルエットとなって美しい。
ウェイン・ショーターの有名盤。このジャケットはご存知の方も多いのではなかろうか。
アルバム自体はショーター本人が15歳のときに書いたSF漫画(なんだそりゃ)がコンセプトになっているらしい。
ショーターのソプラノが一直線の音になっていてとても心地よい。
リズムは打ち込みを多用している。当時としては斬新だったのかもしれないが、私としては生バンドでやって欲しかった。
1986年録音。
オススメ度:☆☆☆☆★

Richie Kamuca / Bill Holman “West coast Jazz In Hifi”
夕日のさす波打ち際に楽器が・・・というジャケットが綺麗だなと思って購入(安易ではあるが気にしない)。
オクテット形式での演奏なのだが、とりあえず面子がハンパない。ロッソリーノ大先生(tb)、ビル・ホルマン(bs)、そしてリッチー・カミューカ(ts)!
ウェスト・コースト派の中でも特に一目置かれていたというカミューカのテナーはとても紳士的で、俺が女だったらコロッといくだろうなぁ、という感じである。
オススメ度:☆☆☆☆★

“Indo Jazz Fusions”
見るからに怪しいナゾのレコード。
ジャケットにヒンドゥー文字と思しきものが書いてあるが、よく見れば単に
アルファベットをそれ風に書いてるだけ。
しかも「インドジャズ」なら”Indian Jazz”と書くべきだろうに、こともあろうか”Indo Jazz”。
Indoってなによ笑。
この適当な感じが妙に気に入り、思わず購入。
1曲目から聴いてみると、インドというか何というか、ビミョーに無国籍な雰囲気が。
で、2曲目は同じフレーズをシタールでひたすらループ。完全にドラッグミュージックになってます。
しかし、アマゾンで検索してびっくり。
なんとミュージックランキングで10万位くらいになっている!
以外に聴いてる人多いのか・・・。
オススメ度:☆☆☆★★



Brew Moore “The Brew Moore Quartet and Quintet”
これをジャケ買いした当時は精神的に病んでいたかもしれない、というようなすさまじいジャケット。ベルセルクにこういう使徒がいたような・・・。
見ればわかる(笑)!他には何も語るまい!
※ 演奏自体はどうかというと、ジャケットからは想像もつかないような柔らかく太いテナーサウンドが楽しめる。しかも、猛烈にスイングする。最高!
アルバムの詳細はまた今度。
オススメ度:☆☆☆☆☆



このように、結構アタリを引くことも多いジャケ買い。
みなさんも試してみては?

2009年9月16日水曜日

男たるものこうでなくっちゃ ~アーネット・コブ~

「男のテナー」と来れば、デクスター・ゴードン、ジーン・アモンズが筆頭に上がりそうだが、今回紹介するのははアーネット・コブ(Arnett Cobb)である。


演奏もさることながら、そもそも見た目のインパクトがハンパではない








「お前はアルト吹きなのにまたテナーかよ!」という罵声が飛んできそうだが、表現の自由なので気にしない。
日本国内での知名度はいまいちのようだが、私はとても好きだ。
ジャズファンの中ではコブはホンカーとして位置付けられることが多いが、私の持論では、
コブはホンカーではない(!!)。

※ 「ホンカーってそもそも何よ?」という方は、ブログのバックナンバー「下品でナンボ!ホンカー特集」を参照されたい。

泥臭さむんむんで吹きまくるが、基本的なスタンスが、何というかどっしりしている印象を受ける。ビッグ・ジェイ・マクニーリーなどのいわゆるホンカー族と比べると、よりジャズ的と言えるかもしれない。ギャンギャン吹くというタイプとは一線を画する。
あくまで私個人の好みであるが、テナープレイヤーにはこういうのを聴いて欲しい!!
で、オススメはこちら。

"Chittlin’ Shout" 

チタリン(Chittlin’)というのは豚の小腸のことらしい。
B.B.キング曰く、肉を買う金のない黒人がチタリンを買って食う。それが転じて、黒人地区の小さいクラブで演奏することをチタリン・サーキットと呼ぶようになったと。
そういうところの客は皆耳が肥えていて、つまらない演奏をすると野次ったり、物を投げつけたりするそうである。
コブもチタリン・サーキットで揉まれて這い上がっていったミュージシャンの一人である。
アルバムの内容を一言でいうと、ブルース、ファンク、ソウル、ジャズのごった煮。

小手先のテクニックは一切無視!男だぜ!
71年録音。

"Blow Arnett Blow!"

ゴリゴリ系サックスの代表格であるエディ・ロックジョウ・デイビスとの共演。フロントを2テナーにして吹きまくる、夢のような一枚。
ソロバトルを聴いていると、二人のスタイルが違って面白い。
ロックジョウはかなり速いテンポでも、拍に忠実にはめ込んでいく速射砲のようなプレイ。
かたやコブは、最初から拍を無視して好きなように吹く。笑える。
特に2曲目の”Go Power!!”の演奏は圧巻だ。この曲はI Got Rhythmと同じ(多少単純化しているように思うが)コード進行であるので、コピーの素材としても面白い。ブルース系プレイヤーらしいわかりやすいアプローチが聴いていて楽しい。

"Smooth Sailing"

唸りまくるオルガンをバックに、コブがブリブリ吹く。
先に紹介した2枚と比べると若干おとなしい感じか。


聴いてみた方はお分かりかと思うが、紹介したアルバムはどれも熱い演奏ばかり。
しかし、驚くべきとこに、これらのアルバムを録音したとき、コブは自力で歩けない状態であったのだ。
56年の自動車事故に遭い、

二度と自分の足では歩けなくなってしまった。












松葉杖にも関わらず、ライブでぶちかますアーネット・コブ。







だが、不屈の精神で演奏を続け、ライブでは松葉杖をわきの下に挟んで立ち上がり、テナーをこれでもかと言わんばかりに吹いたという。
1989年、71歳で死去。

2009年5月23日土曜日

暴力のサックス ボルビトマグース

サックスという楽器に皆さんはどのようなイメージを持つだろうか。

「TスクウェアのTruth」だろうか。「夜霧に咽ぶムードテナー」というのもあるだろう。
とりあえず、ジャズ・ポップスの花形楽器のひとつというイメージは一般大衆の中では確立しており、正にその通りとも言える。

しかし、そんなイメージを徹底的に破壊し尽す、恐ろしく暴力的なサックスがある。


ニューヨークアンダーグラウンドの雄として、カルト的な人気を誇るノイズバンド、
ボルビトマグース
である。

メロディー、ハーモニー、一定のリズムを持ったものを音楽と定義つけるのであれば、彼らの演奏はおよそ音楽と呼べる代物ではない。
圧倒的な轟音と獰猛なサックス。これは「音楽」ではなく、むしろ「行為」というべきであろう。

79年結成。
ドン・ディートリッヒ(sax)、ジム・ソウター(sax)、ドナルド・ミラー(guitar)の3人組からなる(活動初期はエレクトロニクス担当がいたが、現在は3人である)。
その演奏は超爆音・超轟音であり、JOJO広重をして「最もうるさいバンド」と言わしめた。
フリージャズやロックとも全く異なる。
これがボルビトマグースだ!
左から、Donald Miller(Gt)、Don Dietrich(sax)、Jim Sauter(sax)



<ボルビトマグースの意味とは>
 紀元400年代中頃にフン族(北方の匈奴の一派と思われる)がローマ帝国の一部を侵略した。
その際にケルト系ローマ人の町が襲われ、虐殺されたらしい。そのとき被害を被った町のひとつが「ボルビトマグース」という名前だったようである。

バンド名にコレを採用した理由はまったく不明。
この際わからなくたっていいのである。
 


ライブで発射される音塊の破壊力はすさまじく、客は聴覚に異常をきたし、ライブ後しばらく会話ができなくなったそうだ。
ライブハウスのスピーカーを吹っ飛ばしたという伝説も残している。
 
そのパフォーマンスも常軌を逸している。
マウスピースとネックの間を長いホースでつなぎ、サックス本体をエレキギターのように振り回しながら吹きまくるゴムホース・サックス(勝手に命名)。

ここまで来ると、音程もへったくれもない。
アドルフ・サックスもあの世でさぞ驚いていることだろう。




まだある笑。

2本のサックスのベルでマイクをはさみ、一気に爆音を撒き散らす
必殺技ベル・トゥゲザー(Bell Together)。

もはや何がなんだかわからない。

音階や理論なんざクソ食らえとでも言わんばかりのその有様からは、サックスという楽器の更なる可能性すら感じる。




96年6月、渋谷ラママでの歴史的ライブ。聴くべし!




<特別コラム:何故、破壊的な音楽に惹かれるのか>

多くの人がフリージャズやノイズは受け入れがたいものと感じるだろう。楽器を正しく演奏できない人が滅茶苦茶やっているだけ、という見方もできる。
特にボルビトマグースのような「行為」は極めて破壊的だ。
しかし、私を含め一部の人には熱狂的な支持を受けているのも事実である。なぜなのか。


その根底にあるのは「破壊衝動」
ではなかろうか。

必死で作ってきたものをぶち壊してしまいたいという、ある種のカタルシスを求める感覚というものは誰しも少なからず持っている。
そうした衝動を、演奏者が音という形をとって自分の代わりに体現してくれているというように感じる、言い換えれば
「代償行為」
に当たると考えることはできまいか。
少々飛躍しすぎかもしれないが、少なくともフリー系のライブを聞きに行くとき、私の中にはそのようなものが流れているような気がする。

さて、読者のみなさんはいかがでしょう?

関連記事
10,000Hit記念! Peter Brotzmann Trio / "For Adolphe Sax"

2009年4月26日日曜日

しかしまあ、何だなぁ。アンブシュアは・・・。

アンブシュア(楽器を吹くときの口の形のこと。いやらしい意味はない。)は難しい。

 アマチュアにとっては勿論、プロにとっても永遠の課題であろう。なにしろ、
音程と音色はアンブシュアで8割がた決まる
といわれるくらいである。
というわけで、今回はアンブシュアの話。

 まずはじめに、絶対的に正しいアンブシュアというのは無いようだ。要するに「客を納得させられる音」が出せるのなら、どんなとんでもない吹き方だっていいはずである。
 しかし、「いい音」を出すための様々なアンブシュアを平均化すれば、一定の法則というか、決まりみたいなもんがあるように思うので、徒然なるままに書いてみることにする。

 本題に戻ろう。
 我々ド素人は当然プロのアンブシュアをお手本にすべきなのだが、真似る対象を間違えてはいけない。
 唇の厚さがまったく異なる黒人プレイヤーはあまり参考にならないだろう。そもそもアンブシュアがどうなっているのか、見てもわからない(マウスピースが口に埋まっているように見えることもしばしば)。
 サンボーンを真似るのもやめといたほうがいいだろう。
 急角度をつけてマウスピースをくわえる独特の吹き方はサンボーン自身が研究し尽くした末の結果であろうが、素人は真似してはいけないスタイルであるし、第一格好だけ似せてもあんなふうには吹けない。現実は厳しいのである。これまで、いかにも「サンボーン最高です」的に楽器を斜めに構えて吹く人を何人か見てきたが(フュージョン系サークルに多い)、ろくなのがいない。まずは正統派でいくべきだろう。
 といって、中には
パーカー好きが高じてセッティングまで真似するアホ
がおるが、論外である。ブリルハートのマッピに鋼鉄のように硬いリードなんて、そもそも音が出ない。やめとこう。
 というわけで、我々は日本人もしくは白人プレイヤーを真似するのが得策であろう。具体的には、宮本大路氏、本田雅人氏(音の好みは分かれると思うが)、あとはフィル・ウッズといったところだろうか。時期やスタイルによっての差はあるものの、この方たちのアンブシュアには一定の共通点があるように思う。
 これに、私が師から教えてもらったアンブシュアのポイントを加えると次のようになる。
 
マウスピースの上部(ティースガードのところ)に上の歯をしっかり乗せ、そこを支点とする
(決して下唇にマッピを「乗せる」ようにしてはいかん。噛むのと同じになってしまうからだ)。
・ マウスピースをくわえるとき、下あごは可能な限り脱力し、下にさげて、さらに手前に引く。

・ そうすることによって、リードに接するのは下唇のみになる。決して噛まない!
(「ほ」を発音するときに近い)
 
 口というものは、上下に閉じるような構造になっている。そして、マウスピースの開口部も横長の形になっている。
 人間の身体は脳みそによって作られるイメージで容易に変化してしまうので、サックスを吹くとき、どうしても「上下に噛む」というイメージに陥りやすい。
 そうなると、音はどうして薄っぺらになってしまう。
 我々が目指す「筒型の音」は「横長の薄っぺらさ」を出来るだけ排除する必要があるので、むしろ「縦長の筒型の音」くらいのイメージのほうがよいのかもしれない(というわけで、「ほ」の発音)。
 これは、これまで脳内に作られたイメージを再構築しなくてはならないので、とても根気のいる作業であると思う。

・ 下唇は「巻く」のではなく、リードに対して「立てる」イメージ。出しすぎてもいかんらしい。

・ 腹に力を入れ、息をしっかり支える(これは当たり前か)。


以上の点から考えると、最も重要なのは「リードの振動を極力妨げない」こと及び、「マウスピースのオープニングを最大限生かす」ことといえるのではないかと思う。かといって緩いだけのアンブシュアがよいとはいえない。リードがやたら振動するだけの、コントロールのきかない音は音楽的とはいえないからだ。

文章で書けるのはとりあえずこれくらいだろうか・・・。
自分のアンブシュアを写真にとって載せようかとも思ったが、全然勘違いだったら恥ずかしいのでやめた。


※ やたらと偉そうなことを書いてしまったが、上記の内容を私が実践できているかというと、「あはは・・・。すみません・・・。」と言うほかない。
そして、私も当然ド素人なので、「ここで読んだことをやってみたらえらいことになった!」と訴えられても責任は取れません。

さらに、クラシックの吹き方は知りません。ごめんなさい。
ではまた。

2009年1月25日日曜日

肋骨レコード

今回は趣向を変えて、社会派な論調(?)で書いてみようかと思う。

<プロローグ>

第2次大戦後のソ連。
 文化的自由が厳しく規制される中、巷に奇妙なレコードが広まり始める。
 使用済みのレントゲンフィルムにカッティングを施しただけの粗末な※ソノシート。



人々はそれを『肋骨レコード』と呼んだ。



※ 薄いビニール板や紙で作られたレコードの簡易版。雑誌の付録や金のないバンドの音源として用いられた。
97年に日本で最後のソノシート製造機がストップし、その歴史に幕を閉じた。




















↑これが肋骨レコードである。
  確かに誰かの骨が写っているから驚きだ。


<肋骨レコードの誕生>


 アメリカでスウィング・ジャズが隆盛を誇っていた1930年代、ソ連は事実上文化的鎖国政策をとっていた。
 しかし、第2次大戦を契機に出征したソ連兵は欧州戦線で西側の文化に初めて触れる。ジャズやシャンソンを聴いた兵士たちは終戦と同時にひそかにレコードを母国に持ち帰った。
 ところが、母国ソ連は極端な警察国家・監視国家であり、スターリニズムが完全に支配していた。以前にも増して西側音楽は厳しく規制されることになる。レコードを聴くことも売買することも禁止され、発覚すれば収容所送りになった。




←ヨシフ・スターリン

  1953年に死去するまでソ連共産党書記長を務めた。
  権力欲・金銭欲はすさまじく、反対派を徹底的に弾圧
  ・粛清した。
  ヒトラーに並ぶ、20世紀最悪の独裁者の一人である。
 










 そんな中、なんとか西側音楽を聴くために考案されたのが『肋骨レコード』である。レコード盤自体が高価で一般市民には手に入らなかったため、使用済みのレントゲンフィルムが使われた。誰かの骨が写っていたことから『肋骨レコード』と呼ばれたのである。
 当然このレコードも当時のソ連では禁制品である。作るのも買うのも聴くのも命がけという代物であった。
 中には何回逮捕されて収容所送りになっても、出所後懲りずにレコードを地下レーベルで作り続けるツワモノもいたという。
 いくら政府が規制しても、人々の西側音楽への欲求は抑えられず、肋骨レコードは数百万枚も作られたそうだ。
ちなみにレントゲンフィルムにレコードの溝を刻むカッティングマシンは、かつてスターリンの演説を録音する際に使用されたものというのだから、皮肉なものである。


<冷戦終結、ソ連崩壊>


 時代は流れ、フルシチョフによるスターリン批判が始まり、西側文化への規制は次第に緩やかになってゆく。
 ペレストロイカ、冷戦終結を経てソ連は崩壊、西側の文化が一気になだれ込むと同時に肋骨レコードもその役目を終え、静かに姿を消した。




<エピローグ> 


 そして現在。
 レコードはCDにとって代わられ、ネットにはあらゆる音楽が溢れている。命がけでレコードを手にするなどありえない時代になった。肋骨レコード発祥の地ロシアでも、その存在は風化しつつあるという。
 豊かであることは決して罪ではない。やましいと感じる必要もない。
 しかし、我々が大好きな音楽にどっぷり漬かっているとき、身の危険を冒してまで聴きたい音楽を聴こうとした人々が数多いたことを忘れてはならない。