2012年9月13日木曜日

ソニー・スティット/"With The New Yorkers"

 スティットがやたらと多作であることは以前も書いたが、特筆すべきは、どのアルバムでもまったくと言っていいほど演奏スタイルが変わらない点だ。
電気サックスを吹いてみた変なのもあるし、晩年はさすがに音がヨレヨレになってくる。だが、やっぱりバップスタイルを貫いているのだ。
 スタンダードや正統派ブルースなどを選び、湧き出るバップフレーズを吹きまくって一丁上がり。ほとんど金太郎飴である。
 それは芸がないわけでは決してない。
 歌モノではしっとりとテーマを聴かせ、ファストスイングでは饒舌なフレーズをいくらでも吹く。その型が飽きられなかったからこそ、100作を軽く超える作品を生み出せたのだ。アッパレとしか言いようがない。

 本作はテナーは吹かず、アルト一本。
 音色はパンチがあり、いかにもバップ向きだが、バラードを吹くとこれがまたたまらないのだ。
 "It Might AsWell Be Spring"は、まずテーマが素晴らしい。女性ヴォーカルが歌い上げるような吹き方だ。
 そして、手に汗握る超速Cherokee。高速テンポで演奏することが多いこの曲だが、とんでもないスピードで演奏されている。さすがのスティット先生もテンポについて行けない場面が散見され、1小節中の音符の数が足りなかったり、フレーズが収まりきらなかったりしている。
 だが、驚嘆すべきはこの速度でも聴き手が歌えるバップフレーズが止め処なく溢れてくることだ。しかも、休みなく吹き続ける技量。
 「吹き倒す」とは、まさにこのことだ。

 

2012年9月9日日曜日

ライブ・アット 騒(GAYA)を読む ~阿部薫の命日に寄せて~

 かつて渋谷区初台にフリージャズ・ミュージシャンが集まるライブハウスがあった。
その名は『騒(GAYA)』。
 本書はオーナーであった騒恵美子による証言集だ。
 当時出演したミュージシャンや常連客との交流を主軸に、店を開いた理由、そして自分は何者であったのかという自身への問いかけにつながっていく。
 多くのミュージシャンが登場する中で、特に力を入れて描かれているのは、阿部薫、鈴木いづみと重なった、短くも強烈な時間についてだ。

 

 阿部薫の伝説は語り尽くされている。
 最近こそあまり見なくなったが、1960~70年代の日本ジャズ、アングラムーブメントについて書かれた本や雑誌のバックナンバーを読むと、阿部薫と鈴木いづみのエピソードはたびたび取り上げられている。傍若無人でキチガイじみた振る舞い。約束をすっぽかし、鈴木いづみを殴り、命を削ってサックスを吹き、音の伝説を残したままクスリであの世に逝ってしまったと。
 だが、騒恵美子の目には、律儀で繊細な男と映っていたようだ。本当は人間が好きなのに人間嫌いを装い、繊細すぎるために世の中と上手く折り合っていけない男。
 それがいつしか伝説のサックス奏者として祭り上げられ、本人も後戻りできなくなったのではないのかと、平易で直球の文章で描かれている。
 長い時間心の底に沈殿していたものが一気に解放されたように、騒恵美子の文章は続いていく。
 中でも特に印象的な部分を引用してみる。

「二人は音を残し、文章を残したことで、肉体をもって生きたあの時期に出会った人だけでなく、肉体が滅びた後、遅れてきた人の間でも生き続けられる永遠の命を持ってしまったということだ。」

 この「持ってしまった」、という一文にすべてが集約されている。
音源がCD化されたことは私のような遅れてきたファンにとっては望ましいことではあるけれども、それは死によって伝説が完成されたことも証明している。
だが、こんなやるせないことがあるだろうか。
 亡くなった人のことを、しかも知り合いでも何でもない人をどうこう言うのはよろしくない。
 が、生きて楽器を吹き続けてこそ、その長い道程に意味があるのではないか。
その音楽が永遠の命を持つのは、ずっと後でよかったのではないか。
 しかしこうも思う。レコードを通じてさえ伝わって来るあの研ぎ澄まされたアルトの音は、あの人にしか出せなかったのかもしれない、と。

 本書にはミュージシャンや批評家が阿部薫について書いた文章とは違う側面が書かれており、記録としても大変貴重である。と同時に、本書は著者の遺作でもあったのだ。
 騒恵美子も2011年10月に癌で亡くなった。
日本ジャズの動乱期を知る人が、また一人いなくなってしまった。無念である。

(敬称略)



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吉沢元治・高木元輝デュオ/『深海』

2012年9月8日土曜日

デイブ・ホランド・ビッグバンド/"What Goes Around"

デイブ・ホランドには地味な印象しか持っていなかったが(失礼な話だ)、作曲すると変態なものが出来上がってくるのだから、もう嬉しくなってしまう。ECMだからか少々綺麗過ぎるとこはある。もう少しグチャグチャにしちゃってもいいのにと思わんでもないが、ツボにはまる曲にはガシッと心を掴まれる。

ともかく、"The Razor's Edge"を聴いて欲しい。
各セクションが次々に重なり調性の薄いテーマ形を作っていくとこなんか、もう痺れてたまらん。
コンテンポラリー寄りの曲調だがわかりやすいかっこよさ溢れるトゥッティ。
実際にバンドで演奏することを考えると、こういうところはとても大切だ。自分のバンドでバシッとキメて拍手浴びてぇ~!と、選曲意欲を非常に掻き立てる。

サックス吹きの視点からしてもこのアルバムは買いだろう。
何しろ、アントニオ・ハート、マーク・グロス(As)、クリス・ポッター(Ts)、ゲイリー・スマリアン(Bs)ときたもんだ。
しかも当然だが、サックスに限らずソロの完成度は非常に高い。
こういう音源を聴いていると、バンドとしてのスピード感を出せるかどうかにはセクションはもちろんのこと、ソロにも大いに責任があることがよーくわかる。と、書くのはたやすく、やるのはえらい難しいんだが・・・。

ビッグバンドファンもコンボ屋も十分楽しめる一枚。


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マーク・グロス(As)
スリー・バリトンサクソフォン・バンド/ "Plays Mulligan" 

2012年8月14日火曜日

John Coltrane / "OM"


A面B面通じて1曲な上に、この呪術的なジャケット。
ビビッてなかなか手が出なかった一枚だが、聴いてびっくり。大変気に入った。

冒頭はメンバー全員による詩(?)の朗読から始まる。True Actionがどうたらと言っているがまったく聞き取れない。チベット死者の書からの引用と聞いたことがあるが・・・、ともかくよくわからん。
変なライナーより対訳をつけてくれりゃいいのに。
続いて問題の「オーム、オーム」が始まり(「オーム」というのはインド諸宗教で瞑想などに使われる聖音らしい)、怪しい土台が出来上がったところでコルトレーンがフルトーンで吹き始める。
この音色の強靭なことといったらもう。楽器がぶっ壊れるんじゃないかと思うくらいである。
ファラオ・サンダース十八番のギョエギョエが絡まり、アフリカンドラムが交じり合い、ジョー・ブラジルのフルートが突き刺さり、B面はもはやジャズのフォームではなくなっている。インドや東洋の要素を混ぜ込んだ国籍不明のカオス状態だ。
こういった精神感応ミュージックは嫌いな人にとっては勘弁してくれ状態なのだろうが、私は純粋にかっこいいと思う。サックスプレイヤーとしては参考になる部分は少ない。というかほとんどないのだが、なぜかまた最初から聴きたくなってしまう。
スピーカーの前に陣取り、爆音で聴きたいアルバムだ。
 
関連記事
ジョン・コルトレーン / "Transition"
ルイ・ベロジナス(Ts) / "Live At Tonic"

2012年8月10日金曜日

イーヴォ・ペレルマン "Mind Games"


イーヴォって何人かと思ったらブラジル人のオッサンだった。
何はともあれ、まず音色がいい。
ラバーのマッピの音ではあるが、音色が独特なのだ。
たっぷりとしたローの土台にハイが乗っかっていて、なおかつ独特のジャリッとした倍音が多く含まれている。常にオーバートーンが基本にあるような音だ。

テナー、ドラム、ベースのトリオだが、演奏自体はデュオに近い。
パーカッション的なドラムをバックにペレルマンが延々とソロを吹く場面が多いのだが、正直最初はダレてるなぁと思うところもあった。
が、ちょっと我慢して(笑)注意深く聴いていると、次々に違ったフレーズが湧き出て飽きが来ない。というか次第に脳がトランス状態になってきて気持ちいい。
これは!と思う調性が薄い浮遊感のあるフレーズも連発され、コピー意欲をそそられる。
この種のフレーズは「このコード進行に使えるからコピー!」ではなく「コピーしてみたが、さてどんな進行に使えるかいな?」と考えるのが楽しいタイプのものだ(ヘタクソな言葉遣いだがニュアンスはわかっていただけるかと)。

これは買って大正解。

2012年7月25日水曜日

吉沢元治・高木元輝デュオ/『深海』



山下洋輔トリオとはまた違う、重い重いフリージャズ。
これもあの時代の日本ジャズの一面なのだ。

フリージャズにありがちな中弛みなんか一切ない。聴いている側も集中していないと、パワーに気押されてしまう。
フリーに「構成」という言葉が当てはまるとは思わないが、ここぞという場面で吉沢さんのベースが唸り始め、重い旋律がテナーと重なる。
これこそがインタープレイなのだ。
高木さんはテナー、ソプラノ、バスクラと持ち替えるが、"Lonely Woman"のソプラノの音色といったら・・・。こんな音が吹ける人は他にいないだろう。
この手の音楽だと、どうしてもサックスの絶叫に耳がいってしまう。
ここでも高木さんの唸り声と楽器の音が半々くらいになったりして凄まじいのだが、サブトーンで吹いたときにすごくいい音が出てくる。サックス吹きとしてはこういうところを聴き逃したくない。
と思っていると、バスクラの後ろでベースがふっと消え、フルートと思しき鋭い音が刺さってくる。二人だけの演奏・・・ってことは吉沢さんがフルートを吹いているのか!?と気がついたときはちょっと嬉しかった。

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阿部薫 / "Overhang Party"

2012年7月19日木曜日

オディーン・ポープ サクソフォン・クワイア/"Locked&Loaded Live At Blue Note"

これはヤバイです。


オディーン・ポープのサックス・クワイアというのは、テナー5人、アルト3人、バリトン1人にリズムセクションという、なんとも笑ってしまうようなバンドだ。
そこにマイケル・ブレッカー、ジョー・ロバーノ、ジェームス・カーターがゲスト出演するという、はっきり言ってバカなんじゃないかというライブである。

全体を通してともかく暑苦しい。
ポープの趣味なのだろうか、クワイアのレギュラーメンバーもバチバチのパワー系奏者を揃えているので、美しいメロディーの曲でもやはり暑苦しい。
が、そこが好き者には堪えられないだろう。

ゲストは皆お約束通りのスーパープレイを聴かせてくれるが、ともかくブレッカーのソロが頭おかしい。
2曲目のソロで好き放題に吹きまくり、聴いているほうは頭がカッカ来る。
ところが後にさらにスゴイ"Coltrane Time"が控えている。ポープとブレッカーのバトルなんだが、うるさいうるさい。「お、そう来るか。じゃこうだ!」とオラオラ。「あ?ほいじゃ俺はこうだ!」とオラオラ。
聴いていて思うのだが、ブレッカーはリーダー作よりも客演の方が圧倒的によい。ヨアヒム・キューンのアルバムでもそうだが、周りを気にせず存分に暴れまくる。自分がプロデューサーだと気にすることが多くて暴走できないんだろうか・・・。他人の作品だからワーワーできるというのもどうかと思うが、格好よきゃいいんだ格好よきゃ。